俳優や歌手として活動していた火野正平(ひの しょうへい)さん。
多くの時代劇や映画、ドラマに出演し、歌手としても活動して大人気でしたね。
そんな火野正平さんが、2024年11月14日に75歳で亡くなったことが報じられました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
火野正平さんは、1970年に一般女性と結婚しましたが、正式な離婚はしていないため、戸籍上の妻はこの最初の結婚相手です。
火野正平さんの奥さんや愛人についてなどを調べていきたいと思います。
火野正平の結婚歴
火野正平さんは1971年、22歳の若さで一般女性と結婚し、1男1女をもうけました。
この結婚は、彼の人生における重要な転機となりましたが、結婚生活は長続きしませんでした。
火野さんは、結婚からわずか1年後の1972年には別居を始め、事実上の離婚状態に陥りました。
しかし、法的には未だに婚姻関係が続いているため、彼の戸籍上の「奥さん」はこの最初の結婚相手となります。
火野正平さんは1972年に別居を開始し、事実上の離婚状態にありましたが、離婚届は提出されていないため、戸籍上は婚姻関係が続いています。
2016年には、彼の戸籍上の婚姻関係が40年以上続いていることが明らかになり、世間の注目を集めました。
火野正平さんは、最初の妻との関係を「最初の母ちゃん」と呼び、法的には未だに夫婦であると公言しています。
この表現は、彼の最初の結婚相手に対する深い愛情と敬意を示しています。
彼は「今の母ちゃん」との関係を大切にしつつも、法的な婚姻関係が続いていることに悩みを抱えているようです。
火野さんは、内縁の妻との関係を築きながらも、最初の妻との関係を忘れずにいる姿勢が、多くの人々に支持されています。
法的には最初の奥さんとずっと婚姻関係にあるということだね
正式な結婚は1度だけなんだね
火野正平の内縁の妻との関係
火野正平さんは1982年から内縁の妻と事実婚の関係を築き、35年以上にわたって共に生活しています。
この長い年月の中で、二人は互いに支え合い、深い絆を育んできました。
火野さんは、内縁の妻との生活を通じて、家庭的な安定を得る一方で、彼の自由な生き方を貫いています。
彼のこの選択は、世間からの注目を集める一因ともなっており、彼自身もその状況を公に語ることで、オープンな関係を示しています。
火野さんの内縁の妻は、元宝塚スターである鳳蘭さんのマネージャーを務めていた女性です。
彼女は、火野さんとの関係を通じて、彼の生活を支え続けてきました。
二人の間には娘もおり、家族としての絆は非常に強いものです。
内縁の妻は、火野さんの公私にわたるサポートを行い、彼の芸能活動にも深く関与しています。
このような背景が、彼らの関係をより特別なものにしています。
火野正平さんは、最初の妻との婚姻が法的に続いているため、内縁の妻とは籍を入れることができない状況にあります。
火野さんはこの状況についても率直に語り、彼自身の生き方や価値観を反映させています。
複雑な女性関係もオープンにしているんだね
それでもアンチ的なコメントは出て来ないね
火野正平は離婚していない?
火野正平さんは、最初の妻との離婚届を提出していない理由について、妻が離婚を認めないためだと語っています。
彼は、最初の妻との関係が複雑であることを認めつつも、彼女の意向を尊重している様子が伺えます。
火野さんは「籍を抜いて今の母ちゃんを入れてやりたいんだけど、最初の母ちゃんも思うところがあるみたいでね」とユーモアを交えながら語り、彼の人間関係の微妙さを示しています。
火野正平さんの離婚届が未提出であるため、法的には最初の妻との婚姻関係が続いています。
このため、内縁の妻との正式な結婚ができない状況にあります。
2016年に戸籍上の婚姻関係が続いていることが明らかになり、火野さんはこの事実を受け入れつつも、彼の自由な生き方を貫いています。
火野さんは「自分の好きに生きているけれど、責任も持ちたい」というスタンスを貫いています。
彼は、最初の妻との関係が複雑であるにもかかわらず、彼女との連絡を10年以上も取っていないと語り、過去の選択を受け入れています。
このような姿勢は、彼の人間性を反映しており、自由な生き方と責任感の両立を目指す姿勢が、彼の魅力の一部となっています。
戸籍上の奥さんと10年以上も連絡を取らないってすごいね
それでも関係は成り立っているんだね
火野正平の女性遍歴7選
火野正平さんは、昭和の「元祖プレイボーイ」として知られ、数多くの女優やアイドルとの華やかな恋愛遍歴を持っています。
望月真理子
望月真理子さんとの関係は、彼女が妊娠していたことや、火野さんとの結婚が実現しなかった理由についても多くの憶測を呼びました。
彼女は自らの遺書にその思いを綴っていたとも言われており、その内容は多くの人々に衝撃を与えています。
紀比呂子(きの ひろこ)
1977年に紀比呂子さんと交際していたことが確認されています。
また、紀比呂子さんは火野さんとの関係について肯定的なコメントを残しており、彼女の過去のインタビューでは「ただ一緒にいるだけでよかった」と語っています。
ホーン・ユキ
ホーン・ユキさんは歌手および女優として活動しており、彼女もまた多くのテレビドラマや映画に出演しています。
彼女は火野正平さんと共演した作品も多く、特に1976年のドラマ「泣かせるあいつ」では重要な役割を果たしました。
このドラマでは、火野正平さんが演じるキャラクターとホーン・ユキさんが演じるキャラクターとの関係が描かれています。
りりィ
1977年に歌手でシンガーソングライターのりりィ(Lily)さんとの交際が報じられました。
この関係は特に情熱的で注目を集め、当時は「ダブル不倫」としても取り上げられました。
仁支川峰子
1981年には歌手で女優の仁支川峰子と恋人関係にありました。
仁支川さんは、火野さんとの関係について「私は7番目の愛人でした」と公言し、彼との交際がどのように始まったかを語っています。
彼女は、火野さんが本妻とは絶対に離婚しないと公言していたことを明らかにし、その理由として「籍を入れたままの状態で、いろんな方と出会う方が自由だと思う」と語っています。
染谷まさ美
1990年代に交際が報じられたタレントで、彼女との関係もオープンでしたが、長続きしませんでした
一般女性
1982年には一般女性との間に2人の娘を授かりましたが、これは未婚で事実婚でした。
火野正平さんの恋愛スタイルは、非常にオープンで相手の個性を尊重するものでした。
彼は常に「ありのまま」の自分を大切にし、周囲の目を気にせず愛情を表現していました。
この姿勢は、彼が多くの女性に愛される理由の一つであり、恋愛においても相手との関係を大切にする姿勢が見受けられます。
火野正平さんの女性遍歴は、彼のキャリアに多大な影響を与えました。
彼の恋愛は常にメディアの注目を集め、時にはスキャンダルとして取り上げられることもありました。
最初の妻との複雑な関係や、内縁の妻との長い生活は、彼の人間性を深く理解する手助けとなり、結果的に彼の芸能人としての魅力を高める要因となったのです。
プレイボーイと言われる所以が分かったね
火野正平プロフィール
・火野正平(ひの しょうへい)
・本名 二瓶康一(にへい こういち)
・1949年5月30日生まれ
・東京都目黒区出身
・1962年 フジテレビ「少年探偵団」でデビュー
・1966年 佐伯幸三監督、加山雄三主演映画「何処へ」で映画初出演
・1973年 大河ドラマ「国盗り物語」に羽柴秀吉役で出演
・2024年11月14日死去 享年75歳
火野正平さんは、1949年5月30日に東京都目黒区で生まれ、2024年11月14日に75歳で亡くなりました。
彼の本名は二瓶康一(にへい こういち)で、俳優および歌手として知られています。
1961年に活動を開始し、1962年にはフジテレビの「少年探偵団」でデビューしました。
彼は1973年のNHK大河ドラマ「国盗り物語」で羽柴秀吉役を演じて以降、人気を博しました。
その後も多くの時代劇や映画、テレビドラマに出演し、特に「必殺シリーズ」や「長七郎江戸日記」などで知られています。
近年では、2011年からNHK BSプレミアムの「にっぽん縦断 こころ旅」で旅人を務め、中高年層を中心に人気を集めました。
2024年春には「にっぽん縦断 こころ」の春の旅ロケを鹿児島県から開始しましたが、持病の腰痛悪化により春の旅を中止することが発表されました。
火野正平さんは、俳優としてだけでなく、歌手としても活動し、多くの楽曲をリリースしてきました。
彼の音楽活動は1977年から始まり、数々のシングルやアルバムを発表しています。
火野正平さんはその魅力的なキャラクターと多才な才能で、日本のエンターテインメント界において重要な存在でした。
火野正平に関する世間の声
代表作は他にもたくさんありますが、1972年放送の 「飛び出せ青春!」第28回、「学校が面白いなんてバカじゃないか!」 での火野さんの演技が忘れられません。
舞台は進学校とは対極にある太陽学園。 サッカー部の高木(石橋正次さん)の蹴ったボールが 兵頭(火野さん)の頭に当たってケガをし、高木が退学処分に なってしまう。そこでサッカー部の連中が高木を復学させるために 「ケガは嘘だった」と証言してもらう条件として、兵頭による シゴキ練習に耐える‥‥というストーリーでした。
執拗にサッカー部に反抗する屈折した生徒の心情を、若き日の 火野さんが演じておられ、強く印象に残りました。
久しぶりにビデオを 引っ張り出して見直したくなりました。長年楽しませていただき、 ありがとうございました。火野さんお疲れさまでした。 合掌
元気になられて復帰されると勝手に思っていたので…ショックでした。
とても魅力ある俳優で、何度も不倫で週刊誌を賑わしても憎めない感じでした。
優しい方だったのでしょうね… ご冥福をお祈りします。
また昭和を代表する名優が亡くなってしまったね
まだまだ活躍してほしかったね
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